当社の歴史
創業
1931年 4月 初代荒巻長氏が時代の尖端を行く硝子
工芸に目をつけ、我が国で初めてのエッチンググラス
創案、引き続いて大阪市阿倍野区松崎町に日本硝子工業所設立。 初代社長 荒巻 長、技術担当 生田徳次。
1933年 建築家 村野藤吾先生(日本芸術員
会員文化勲章受章者)が、昭和4年頃より 同町内(阿
倍野区松崎町)に事務所を開設されて居られた関係で、同
先生の 代表作大阪そごう本店に、いち早く当社のエッチンググラスが採用され好評を得る。 都ホテル、丸物比叡山ホテル
やそれ以後ナンバ高島屋地下のローズルームグランドフロア
では早くも大型の厚板ガラスエッチングが採用され、近代建
築に 採用される端緒となる。
1941年12月 太平洋戦争突入後、政府の技術保存の恩恵
を受け制作続行。
1945年 3月 大阪大空襲で工場居宅焼失。
1948年7月 大阪市浪速区に工場、事務所を新築す。
当時は板ガラスの配給制度下にあった為、同社は技術保存と
研鑽の為、花びんや灰皿などの模様を手掛けた。これが予想
外の反響を呼び、国内は勿論、国外へも販路を求める結果と
なった。まず、PXに販路を移属、進駐軍兵士は、日本特有の
富士山、舞妓、鳥居など彫った花瓶、灰皿、コップ、掛軸な
どを日本からの土産品として持って帰る風潮が浸透した。
最初は大阪PX(そごう店)だけであったが、遂にPX本部(東京)の指定工場として、日夜、生産に追われ、当時のブームを呼んだ。
1951年 7月 業績の拡大にともない、更に市内の中心部
の南船場に工場・事務所を移転。
1957年 9月 個人経営に依る大阪エッチングを法人組織に
改組。社名を「大阪エツチンググラス株式会社」とし取締役社長に生田徳次就任。 ( 以上 生田徳次作成文章)
1982年 5月 ステンドグラス受注増によりステンド室を分離し、「株式会社生田ステンドグラス」を設立。
2013年 4月 ステンドグラス・エッチンググラスの販売会社として「株式会社生田グラス」を設立し、現在に至る。
そごう本店 1階正面欄間
創業当時から設置されているエッチンググラス
(写真は1984年頃)